音楽や図工といった芸術科目は、答がひとつでない数少ない教科である。1つの表現しか認められないのではなく、別の表現にも価値を見出すことができる。1つの答に向かって集約していく他教科と比べ、子どもの個性を認めることができ、広がりを持たせることのできる教科である。しかし、答がひとつでないことが、評価の曖昧さを生み、教師の自信を失わせ、 授業の質の低下を招く方向に働いている可能性も否定できない。ここでは、図工と言う教科を考え、教師はどのように向き合うべきなのかについて考えてみたい。

担任によって図工の評価ががらりと変わってしまう理由

【C評価からA評価へ】
担任が変わった途端、それまでC評価だった子がA評価に変わった。国語、算数ではそうそう起こることはないが、図工では時々、いや、かなりあるようだ。子どもの描く絵が変わった訳ではない。変わったのはその絵を評価する人物、先生の方だ。先生が変われば評価も変わる。これは、ある意味仕方のないことである。 元気よく活発な子が好きな先生もいれは、控えめでも努力家が好きな先生もいる。元気でのびのび描く絵が好きな先生もいれば、こつこつと丁寧に描く絵が好きな先生もいる。同じ芸術科である音楽でも、元気の良い張りのある発声とおとなし目だが正確な発声とがあるだろう。しかし、音楽では、先生が変わったからと言ってC評価だった子が、A評価に、または、その逆になったりはしない。これは、一体なぜだろう。

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【芸術的という一言】
音をはずして歌ったり、リズムがみだれたりしたことを芸術的とは言わない。しかし、横を向いているのか正面を向いているのかわからない絵や、絵の具をぶちまけた絵を芸術と呼んでいる。ここに同じ芸術科でも音楽と図工が違ってくる要因がある。細かなルールの中で、演奏技能や発声技能を高め、それに自分の表現力をプラスしていく。そうしたものの芸術価値が高いことをみんな知っている。ピアノを習ったことがない人が、鍵盤をガチャガチャ叩いても芸術だと誰も認めない。しかし、絵となると幼稚園児が偶然描いたものを芸術的だとほめたりする。そう、絵は突然いいものができたりするから、評価も振れ幅が大きくなる。それは、図工、美術の特徴で仕方ないことなのだろうか。

【実はみんなわかっている】
しかし、音楽の世界で、素人が権威あるコンクールに入賞できないのと同様、美術の世界でも、素人の描いた絵に高い値段がついたりしない。そう、実はみんな分かっているのだ。音楽も美術も評価する厳格な基準があることを。それは、技術力だったり、構成力だったり、色彩感覚だったり、斬新性だったりするが、決してたまたま良かったことではない。

【正しい評価のために】
では、なぜ、「担任が変わった途端、それまでC評価だった子がA評価に変わった。」などということが、起こるのか?それは、おそらく作品で評価しているからだと思う。作品だけをみていると「雑な部分は多いがかえってそれが迫力になってすばらしい作品だ」などとなってしまうことがある。しかし、その子は、迫力を出そうとしたのではなく、単に形通り塗れなかっただけなのかもしれない。作者の意図を見る側が勝手につくりあげているのだ。しかし、作品を作るのが図工の目的ではない。作品作りを通して技能や構想、表現の工夫など様々な力を付けていくのが図工の目的である。そして、評価はそれぞれの力を身につけることができたかで行わなければならない。そもそも作品が良いか悪いかで評価してはいけないのだ。

【評価から授業を考える】
作品の出来、不出来ではなく、図工で養うべき力がついているかどうかで評価するためには、当然、授業の中でそういった力を身に付けさせなけれはならない。次頁では、授業の基本的な考え方について書いてみたい。


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