世の中の多くの人が常識だと思っていたことが、実は間違っていたなんてことがあります。それは教育の世界でも同様で、図工でも多くの人がやっているけど、本当は正しくないということがあります。見本の見せ方もそのひとつで、おそらく多くの方が思い違いをされています。このページでは、そんな見本の見せ方について解説としたい思います。
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見本にいい作品、上手な作品はNG
結論から申し上げます。見本にいい作品、上手な作品を見せてはいけません。ただし、ここで言う見本は、先生が作った試作品や子どもの作品を想定しています。彫刻刀を使って見せたり、釘を打って見せたりする技術的なものも見本と言ったりしますが、今回はこちらは対象ではありません。見本の作品についてのお話しになります。
見本にいい作品を見せるとなぜいけないのか
見本を見せる先生の想いとして、この題材でめざして欲しいと形を示すということがあると思います。これは、子ども達にとって到達目標が明確になるので一見いいことのように思われますが、次の2点において避けるべきなのです。
その一つが、見本がお手本になってしまうことです。自分で考えて工夫するのではなく、見本をめざして努力することになってしまいます。図工は手本をまねる教科ではないことはみなさんよくご理解頂いているのですが、いい作品を見本にするということは、無意識に手本を見せていることになってしまいます。
いい作品を見本にする弊害の2点目は、試行錯誤ができにくくなることにあります。いい作品を見てしまえば、うまくいかない方法をわざわざ試す必要はなく、最短ルートが示されていることになります。算数で言えば、最初から解き方を教えてもらっているようなものです。
以上のように、作品をまねる手本のようになりがちであることと、試行錯誤する機会を奪ってしまうということで、いい作品を見本にするというのはあまり良い方法ではないと言えます。
どのような見本の見せ方がいいのか
見本は、その学習の大まかなイメージを子ども達に伝えるためのものです。例えば、紙を切って台紙に貼り、形を工夫するという活動を行う場合、紙を組み合わせることで、何かしらのイメージを表現することがわかれば十分です。何枚かの紙が台紙に貼ってあれば、活動を理解できるのではないでしょうか。
さて、このような見本は、まだまだ工夫の余地が残っています。紙の形をもっと複雑にするとどうだろうかとか、形と形のつながりをよくわかるようにするのはどうだろうかとか、紙同士を重ねるのもおもしろいのではないだろうかとか、いろいろ良くする方法が思い付きませんか。そうです。見本に適した作品というのは、活動のイメージが分かるもののうち、そこからさらに工夫のできそうなものがいいでしょう。言い方を変えるとごく基本的なものになります。
ところで、見本に選ぶのは完成作品である必要はありません。見本を作成途中の作品にするのもいい方法です。むしろ、途中までの作品であれば、そこから先を子ども達自身で考えていかなければならないので、それぞれの感性が表れやすいといえるでしょう。
授業途中での子どもの作品の取り上げ方
ここまで活動のイメージをつかむための見本についてお話ししてきましたが、ある子どもの工夫やアイディアをみんなで共有するために、作品をクラス全体に提示することもあります。この場合は、教師が見方や感じ方を広げさせたり深めさせたりする意図を持って、そういう場面を設定されるということで、見本ではなく鑑賞に当たります。
このような鑑賞の為に取り上げる作品は、見本と違って、基本的なものである必要はありません。おもしろいアイディアや楽しい工夫など他の子ども達に参考になりそうなものを取り上げてください。
その作品を真似させる意図で鑑賞を行うことは無いでしょうが、教師の意図に反して、鑑賞で提示した作品に引っ張られて、似た表現になってしまうことがない訳ではありません。ただ、鑑賞はそれぞれが自分の考えである程度活動した後に行われるので、それまでの活動に活かせる部分だけを参考にするような傾向が見られると思います。
このように活動の最初の見本はお手本になりやすく、活動途中の鑑賞は参考になると考えておくといいのではないでしょうか。
それでは、まとめです。
●いい作品、上手な作品を見本にすると良くない。
●見本は、活動内容がイメージできる基本的なものか、作成途中のものが良い。
●鑑賞に取り上げる作品は見本と扱いが違う。
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